イスタンブルはトルコ北西部マルマラ地方に位置し、5,343km2 (2,063 sq mi) の範囲を占めている[注釈 1]。ボスポラス海峡はマルマラ海と黒海を結び市街を歴史や経済の中心であるヨーロッパのトラキア側とアジアのアナトリア側に分けている。さらに市街は金角湾により分けられ、以前のビザンティンやコンスタンティノープルが創建された半島は天然の港に囲まれている。マルマラ海やボスポラス海峡、金角湾の交わる辺りが今日のイスタンブルの中心で数千年の間攻撃から街を守って来ており、まだ街の景観の特徴として良く残されている[66]。 イスタンブルの市章のモデルにもなっているローマの七丘をモデルとしたイスタンブルの七丘(英語版)は歴史的な半島を特徴付け、それぞれの頂上には帝国のモスクがある。これらの丘の最も東のものはサライブルヌの上のトプカプ宮殿の場所である[100]。金角湾の反対側から上がると、別の円錐の丘で近代的なベイオール地区が位置している。地形のためにベイオールの建物はかつて斜面を保った擁壁の助けを借りて建てられ、道は階段の形で配置された[101]。アジア側に位置するユスキュダルでは地形が徐々にボスポラス海峡沿岸の下方に延びるとともに、同じような丘陵地の特性を示すが、シェムシパシャŞemsipaşaやアヤズマAyazmaでは景色がより急峻な岬に似ている。イスタンブルで一番海抜が高いのはチャムジャの丘(英語版)Büyük Çamlıca Tepesiで 288メートル (945 ft) である[101]。 イスタンブルは北アナトリア断層の近くに位置し、アフリカプレートやユーラシアプレートの境界に近い。この断層地帯は北アナトリアからマルマラ海にかけて走り、これは都市の歴史を通していくつかの甚大な震災と関連している。甚大な震災の中には1509年イスタンブル地震(英語版)が含まれこの地震による津波は城壁を超え市街を破壊し、10,000人が犠牲になった。より最近ではイズミット近くを震源とする1999年のイズミット地震で18,000人が犠牲となり、イスタンブル郊外の1,000人も含まれている。イスタンブルの人々はイスタンブルの急速な人口増加に対応するために最近建設された数千の住宅が正しく建設されていない可能性があり、さらに壊滅的な震災が都市で発生することを危惧している[102]。地震学者は2030年までにマグニチュード(モーメントマグニチュード)7.6かより大きな地震がイスタンブルで起こる可能性が60%以上であると言っている。
参照元:Wikipedia「
イスタンブル」
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